2010年11月25日木曜日

0017 After Dark

前にも書いたけれど、この時間帯が好きだ。深夜からは遠く未明まであとわずか、しかし空はまだ暗い。漆黒の闇が森を支配しているこの短く深い時間。これは村上春樹がアフターダークと呼んだ世界かもしれない、たぶん。
 
都市のアフターダークと、標高1800mの森のアフターダークとでは、その質やパワーのベクトルが、おそらくはまったく正反対なのだと想う。ここには恐ろしげな影の力も無ければ、魑魅魍魎も跋扈していない。あるのは必死に生きる野生動物たちの、野鳥たちの儚げで力強い気配だけだ。
 
ここでは人間といえども野生動物の一員に過ぎない。なんの特権も持っていない。ただひとつのいのちある存在として、与えられたいのちを全うしようとしているに過ぎない。人間社会の様々な軋轢や欲望や野心などここでは無意味なのだ。
 
本来人間は金儲けをするために生まれてくるわけではない。その必要があるから,あるいは強迫観念に駆られて、金を手に入れようと奔走する。同様に、われわれはビジネスに邁進するために生まれてきたのでもない。結論から言ってしまえば、われわれは「なにかを成し遂げるために」生まれてきたわけではない。
  
それは、我々が成育過程において刷り込まれたもの、あるいは自ら志したものに違いない。
 
それはそれでいいと想うけれど、そのことと、つまり「成功」と幸福とはなんの関係もないと言うのも事実なのだ。夢や目標の実現は祝福されるべきだが、同時にそれは夢の喪失と目標の消滅を意味する。順調に階段を上り詰めているひとはそのときにそなえて準備しておかなければならない。
 
それぞれに手に入れたいものを手に入れればいい。一度きりの人生なのだから。
 
でもそれが唯一の人生でないことも、いまの僕は知っている。
 
失敗としか言えない人生であったとしても、それもまた価値ある人生なのだと想う。一度でも恋をしたことがあるのならばそれは価値のある人生だ、たとえ片思いだったとしても。一度でもなにかに感動したことがあるのならば、それは十分に生きるに値する人生だったのだ。
 
そして、ふとした機会に、あるいは瞑想のなかで、静寂に包まれた「自分自身とでもいうべき世界」に浸ることができたならば、もう他に何を望むことがあるだろう。わたしたちひとりひとりが正直に自分自身であることが、この世界の調和を支えているのだから。
 

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