2010年12月17日金曜日

0032 村上春樹的世界観

 
世界の終り
 
 
村上春樹の長編小説に「ダンス・ダンス・ダンス」という作品があるけれど、いわゆる「僕シリーズ」の最後の作品にあたる。
 
主人公の「僕」が同一人物と考えられることから処女長編「風の歌を聴け」からこの作品までがシリーズと見なされている。
 
いや、少なくとも僕はそう考えている。
 
とても好きな作品群で、すべて初版刊行時に読み、その後も何度も読み返している。20回以上読み返している作品もあるほどだ。
 
そんなことで、そのあとの作品群ないしは単独作品には当初大いなる違和感を覚え、拒絶症状まで出そうになったほどだった。
 
しかし、村上春樹の「世界観」のレベルで捉えると、後期の作品もまた連続性を保っていることに気づいたのだった。
 
それは、
 
この世界ではどんなことでも起こりうるし、あらゆるものが繋がっている。
 
ということだ。
 
なぜならば、この世界は私の極めて個人的な世界だからだ。
 
ウィトゲンシュタインの言葉を借りるならば「私が私の世界である」(ミクロコスモス)ということになるのだろうか。
 
だから「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」で「世界が終わる」ということの意味は、「主人公の世界の終わり」を指し示していた。
 
僕自身もまったく同じ考えに行き着いていて、そのように確信している。
 
世界の終わりとは「私の世界の終わり」のことであって、私が死んでも世界は続いてゆく、なにごともなかったかのように。
 
そのような世界観を持った上で読み直すと、見かけや仕掛けは異なるかも知れないけれど後期作品群とりわけ「1Q84」もまたおなじことを語り直していることに気づくのだ。