風景
かつては息もできないほど大量のタンポポの綿毛が飛び交う季節だったのだけれど、必死に駆除したおかげで数年前からそのような現象を見なくなった。外来種の巨大で強靱なタンポポを駆除するのは至難の業だったが、とうとう優位に立てたようだ。
その結果、可憐な在来種のタンポポや、駆逐されてしまっていた小さな山野草がよく見られるようになってきている。少しだけ本来の植生に戻すことができたのかもしれない。地権者の許可を得て間伐、枝打ち、下草狩りをペンション村を挙げて行ったおかげで、ピラタスの森もカオス化する直前で踏みとどまっている。
人の手の入らない森は文字通りのジャングルと化してしまうのだ。混沌とした醜悪とも見える生存競争の姿を我々にさらしてしまうのだ。このことは森に暮らしてみないとおそらくは決して知ることのない事実かも知れない。人の手の入らない自然には我々の抱く「風景」とか「景色」というものは存在しない。
それらは自然によって触発された結果としての、われわれの心象風景だからだ。自然を美しいと感じるためには、我々の内面に美しい自然が存在しなければならないのだ。
美を感じる心がなければこの世界に美など存在し得ない。
from 信州蓼科高原ピラタスの丘・標高1700m
http://www.p-sunset.com/
2012年7月3日火曜日
ニッコウキスゲが咲き始めています
2012年7月2日月曜日
ただ知りたいだけ、きわめて個人的に
このブログは記事のトーンが暗いだろうか。たまに気にしてはいるのだけれど、これがわたしの志向性であり個性であり世界観なのでどうしようもない。
この世界にはわれわれが想像する以上にじつに様々な人間がいて、じつに多様な世界観のもとに生きているのだ、たぶん。
わたしに人生のテーマがあるのかと問われれば、「この世界の成り立ちを少しでも理解したいのだ」と答えるだろう。まあ、誰もそんなことは質問しないのだけれど。
べつに大それたことじゃ無い。それにそんなことを知ったからといって何か得をするとか人生が明るく楽しくなるというものでも無いし。ただ知りたいだけ、きわめて個人的に。
ペンションの経営者(通常「オーナー」と呼ばれるのだけれど)としてはどうよ?・・・という観点からすれば、あまり得策じゃ無いよなー,こんなことばかり書いているのは。
・・・とは思う。
でもね、ペンション・オーナーとしての実際のわたしは、ここに(=このブログの世界のことね)いるわたしとはだいぶ違うのだ。びっくりするほど違うとは言えないけれど、がっかりするていどには異なっているかも知れない。
誰だってそうでしょ、程度の差こそあれ。
ここに記されていることはわたしの内面の想い、あるいは精神世界、あるいは世界観なのであって、実際のわたしのことでは無いのね。
もちろん、わたしという人間を構成している最も核心的な部分かも知れないのだけれど、それは明示的では無く、「暗示的」なものとしてのことだ。
そうした意味においては、いまここでこのように語っているわたしは「メタファー・としての・わたし」だということが出来るかも知れない。
さて、これでしっかりと煙に巻くことが出来ただろうか、ちょっと心配。
from 信州蓼科高原ピラタスの丘・標高1700m
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